私の母は私が小学校6年生の頃からいわゆる鬱病を患っていました。
私の母は私が小学6年生の頃からいわゆる鬱病を患い、善くなったと思っても3年おきくらいにまた発症し、と繰り返していました。
私が社会人になった後も腎不全の父と鬱病の母との同居に自分の人生を嘆き自己卑下しながら悩ましい時を過ごしていました。
母は通院、投薬により普段の生活ができるようになることはありましたが
父を亡くした後の東日本大震災の騒ぎの中、母がまた鬱気の無気力症となり、依存されてしまう私は精神的負担に耐えられなくなり家を出ました。
兄妹がそれぞれ代わってくれましたが気力の上がり下がりを繰り返しながらそれが10年続いていました。
私は母とどう向き合っていいのかがもう分からなくなっていました。
私と武術。離婚から整体への出会い。
家族と離れ昔から望んでいた結婚をし、そこから更に離婚も経験しました。
そういった様々な経験をした中で私は自分が好きなこと、やりたいことを生業として生きたいと思うようになりました。
元々身体を動かすことが好きで小、中学生時代はスポーツを、高校時代は部活はやらず筋トレだけでスポーツテストでA判定をとったこともありました。
成人して中国拳法を学び、剣術の居合も学び始め、今も継続して稽古を続けています。
そういった経緯もあり身体に関わることをしたいと整体を受ける側ではなくする側になれないかと考えるようになっていました。
整体といっても様々なアプローチがあり資格もあります。
調べていく中で悩ましく思っていた時に出会ったのが二宮整体と芯伝整体でした。
どちらも身体や心の不調からくる悩みの根本解決を目的とし、ストレスや緊張、病気の原因、自律神経の不調に働きかける点に非常に感銘を受けました。
二宮整体の施術にはうつ病やパニック障害への調整すらもありました。
その時、すぐ頭に浮かんだのが母のことでした。
これが私が母にできることなのではないか。
そして立ち戻る自身の想い。
共に生活して支えることだけが親孝行じゃない、これなら前向きな関わり方ができるのではないかと、ハッと目が覚めるような感覚だったことを覚えています。
母が喜ぶことをしてあげたい、元気になってほしいと改めて思えるようになったのです。
圧し殺していたただただ母に元氣に過ごしてもらいたいという想いがあふれてくるのを強く感じ、自分の想いの原点に立ち返ることができたように感じました。
そういった想いから私は整体を通して身体や精神的な不調からくる悩みを抱えている方や、私と同じように特定の症状を抱える御家族を支えて大変な想い、辛い想いをされてる方の力になりたい。
大丈夫ですよ、と励まして例え間接的でも解決のお手伝いができるようになりたい、と整体院開業を目指し始めました。